みんなが英語を国語として学ぶわけではない?-アメリカの教育事情

28月 - による user - 0 - コラム 教育

みんなが英語を国語として学ぶわけではない?-アメリカの教育事情

Young woman teaching English to adult students at language school.

アメリカでは最も多くの人が英語を話しますが、基礎教育を
英語で行わなければならないと規定されているわけではありません

アメリカには日本における日本語のような「国語」が存在しないため、
基礎教育をスペイン語で行うことも可能となっています。
このことが、中南米系の多い地域で、学校教育がアメリカ的価値観を身に着ける場として機能しないのではないかと懸念する専門家もいます。

アメリカでは、日本の教科書検定のような制度が存在しません。
基礎的な教育を児童に与えることは義務となっているものの、
子どもを学校に通わせることが義務付けられているわけではなく、
最低限の要件を満たしていれば、子どもへの教育を家庭で行うこともできるのです。

教育内容は学校区単位で決定されることが多く、選挙権を定めるのは基本的に地方政府の役割となっています。
1982年に連邦裁判所が出した判例によって、不法滞在中の子どもであっても、初等・中等教育を受ける権利が認められているので、中南米系住民の多い地域では、2か国語教育を行うこと、場合によっては、教育をスペイン語で行うことが公約されることもあります。

移民の子どもにアメリカ的価値観を教えようとしても、教育政策上、現実的に簡単なことではないのです。

サミュエル・ハンティンソンは『分断されるアメリカ』で、アメリカの移民問題、とりわけ中南米系移民がアメリカ社会にもたらす影響について警鐘を鳴らしています。

一貫して多民族性を特徴としたアメリカ社会では、移民やエスニック集団を統合する上で、アングロ・プロテスタントの入植者が
作り上げてきた「アメリカ的信条」が重要な役割を果たしてきたといいますが、
この「アメリカ的」といわれる文化の継承が、中南米系移民が急増している地域で
危ぶまれているというのです。

移民のなかには、社会の周辺に置かれながらもアメリカ社会の発展に貢献しようとする人々も存在します。

移民の問題について理解をするにあたって、1990年代になると、
ヨーロッパの学者の一団が「社会的安全保障」という概念を展開しました。
国家の安全保障が何にもまして主権を重視するのに対し、社会的安全保障はアイデンティティ、すなわち国民が自分たちの文化、制度、生活様式を維持する観点から
把握をしようと試みたのです。発展のための受け入れ可能な条件のなかで、言語、文化、人間関係、宗教的アイデンティティとナショナル・アイデンティティおよび慣習の伝統的なパターンを維持できるかどうか。

「多民族性を受け入れる土壌のあるアメリカ社会とは何か」が問われているのかもしれません。

・参考文献

西山隆行『移民大国アメリカ』ちくま新書(2016年)
ハンチトン『分断されるアメリカ』集英社文庫(2017年)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です