オバマ外交への期待-アメリカ初のアフリカ大統領の登場

 オバマ外交への期待-アメリカ初のアフリカ大統領の登場

2008年の大統領選挙で「台風の目」となったのは、ハワイ出身のアフリカ系候補者のオバマでした。

当時のアメリカ国民は、イラク戦争の成り行きを心配し、2007年の住宅バブルの崩壊によって
サブプライム・ローンが不良債権化しました。金融・経済危機の中で、負債を抱えた人々が家を失い、
またゼネラル・モーターズ(GM)、フォード、クライスラーの自動車3社も経営危機に陥ったのです。
1930年代の再来とも言われたアメリカ発の世界同時不況の中で、オバマ上院議員が掲げた「チェンジ」のメッセージは、国民を勇気づけました。アフリカ系だけでなく、白人やヒスパニック、そして共和党支持者の一部を巻き込んで熱狂的なキャンペーンを繰り広げたのです。

カイロ演説とプラハ演説―単独行動主義に代わる国際協調主義への歩み

カイロ演説では、イスラーム世界と西洋との間に横たわる歴史的な不信の問題に触れた後、
民主主義、女性の権利、宗教の自由、イスラエルとパレスチナの関係、核兵器や過激主義の問題などを
包括的に論じ、イスラーム世界との間の「新たな始まり」を呼びかけました。

プラハで行われた「核兵器のない世界」演説では、核兵器の脅威が
冷戦後に消滅するどころか、テロリストや闇市場での取引によって
逆に拡大していることを指摘し、核不拡散体制を強化し、核分裂物質を
厳重に管理するシステムを構築することを課題として挙げました。

そして、2009年10月にオバマはノーベル平和賞受賞が発表されました。

オバマはイラク戦争を一貫して批判し、イラクとアフガニスタンの戦争を「責任ある形で」集結させ、
同盟関係を尊重することを主張しました。アフガニスタンに焦点を定め、アルカイダの掃討に力を注ぐという
オバマの政策は、2011年5月のオサマ・ビンラディンの殺害で一つの象徴的な成果を得たのです。。
2011年6月に米軍の規模縮小を発表し、14年12月にはアフガニスタンにおける戦闘の終了が宣言されました。

経済面での「リバランス」と主導権争い

アジア諸国との関係を多角化しようとするオバマ政権の姿勢は
2010年の「国家安全保障戦略」にも示されていますが、
あくまでアメリカ主体という姿勢は崩したくないという思惑があります。

米中間で、経済をめぐる覇権争いも徐々に強まっています。
中国政府は2014年のAPEC首脳会議で、「一対一路構想(新シルクロード構想)」を提唱し、
その象徴としてアジア地域への国際金融投資を目的としたアジアインフラ銀行(AIIB)が設立されました。
2015年12月に発足したこの銀行は中国との経済関係強化をめざすイギリス、ドイツなどのヨーロッパ諸国や
オーストラリア、インド、フィリピンなどのアメリカと関係の深い国々も参加しましたが、
主要国のうち、アメリカと日本は不参加を表明しています。

このような動きに代わって、オバマ政権が力を注いだのは、アメリカの中心として
環太平洋地域に自由貿易圏を作るというTPP協定の締結であり、2015年2月に
日本、カナダ、マレーシア、メキシコを加えた12カ国がTPP協定に署名しました。

北朝鮮の問題

2003年より開かれていた韓国、北朝鮮、日本、中国、ロシア、アメリカからなる六カ国会議は
核放棄の検証方法などをめぐって対立していました。
北朝鮮の友好国であった中国も、2016年1月の核実験後には国連安保理の北朝鮮非難決議に賛成し、
新たな制裁枠組みに同調するなどの姿勢を見せたのです。
しかし、その後アメリカが高高度迎撃ミサイルシステム(THAAD)を韓国に配備することを
公表すると、中国はこれを朝鮮半島の緊張を高めるものとして反発し、共同歩調をとるのが難しくなっています。

参考文献

佐々木卓也『戦後アメリカ外交史』有斐閣アルマ、2017年

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